Search
  • kkato67

教えることは教わること





















縁あって、現在某専門学校で週2回、2コマずつエディトリアルデザインの講師をさせていただいております。


エディトリアルかぁ・・・。

学生の頃を思い出すと、本の装丁やブックデザインとかはすごく好きだったけど、版面のレイアウトとかの授業は結構大変だった気がする・・・。

もちろんデザインを仕事としていく上では、めちゃくちゃ大事な要素てんこ盛りなんですが、まず色々覚える事が多すぎて、楽しさに気づくのにだいぶ時間がかかりました。


ただね、タイポグラフィは好きでしたよ!

私の父親が新聞記者で、私が小さかった頃に活版印刷が廃止になり、要らなくなった活字が家にいっぱいあって、それでよく遊んでいました。文章を作ってハンコのように紙にペタっとしてみたり、そもそも鏡文字になっている活字を眺めているだけでも面白かったんです。


※タイポグラフィもグラフィックデザイン、ことにエディトリアルには大きく関わってくる要素です。


専門学校の生徒は、高校卒業後すぐ入学した子だったり、一度社会に出た経験のある子だったりですが、いずれにしても若い。そして大学とは違い、2年で即戦力として社会に出ていかなくてはならない。そうなると、授業は「考え方を教える」というよりも、テクニックやソフトの使い方などの方法論の割合が多くなってしまうんです。

でも、ソフトや技術の進歩によって、今教えている方法論はあっという間に古くなってしまうだろうし、そうなったときに必要なのは、やっぱり「デザイン」っていうものの考え方だったり向き合い方だったり、そういった部分だと思うんです。


デザインとは伝えること、伝える手段やその効果を設計することだと、私は思っています。かっこいいものや美しいものを作るとかっていうのは、デザインという行為がもたらす結果であって、それが目的ではない。授業では合間合間にそういった「伝えるテクニック」というのを方法論として教えながら、なぜそうなのかという理由を織り交ぜています。「原因」というスタートと「結果」というゴールの間に「理由」があると、みんなスタートとゴールの間の道筋を考えるようになるからです。


これからデザイン業界に入っていくであろう若い世代に、こういったことを教えていくには、普段、自分が息を吸うように無意識におこなっている色々なデザインの作り方を、あらためて理論化し、言語化する必要があります。そこで初めて自分でも気が付くんです。


「あ、こういうことだったのか」


って。

そこには誰かに教えるために、自分も教わっていく連鎖ができています。教えることは教わることです。自分自身に対する気付きや発見です。このプロセスって、まさにデザインという行為そのものだと思うんですよね。


デザインに関するアンケートで「AIが果たす役割について」みたいな項目がありましたが、デザインの本質が「伝える」ということである以上、深く掘り下げていったその中心には必ず「人」がいます。人と人がいてはじめてコミュニケーションが成立します。

授業もコミュニケーションだし、学生との会話だって大事なコミュニケーション。そこで紡がれるプロセスがデザインのそれと同じならば、きっとデザインとは「人」そのもの。


だから、これからの若い人たちにはデザインを難しく捉えてほしくない。デザイナーを一部の特殊な能力がある人が就く職業だと思ってほしくない。いっぱいいろんな人と話して、いっぱい友達を作って、いろんな価値観と対面してみてほしい。色んな経験をして、いろんな見聞を得てほしい。


なぜなら、デザインを嫌いになってほしくないからです。

デザインが大好きになってほしいからです。

5 views0 comments

Recent Posts

See All